Notre ami l'atome


ドキュメンタリー映画「我が友・原子力~放射能の世紀」(監督:渡辺謙一/2020年/57分)

ヒバクシャ、被ばく、被爆、被曝ー福島原発以後の日本ほどこの言葉が大量に発語されている国はないだろう。一方でレントゲン写真を撮るために、CTスキャンをとるたびに被ばくしていることにはさほどさほど関心を向けない。被ばくとは恐怖なのだろうか、必要悪なのだろうか、そもそも被ばくするとはどんな環境下で、誰かの過ちで引き起こされる事象なのだろうか。この歴史ドキュメントは、放射線が発見されたキューリ・ラジウム研究所から今日までを、被ばくの被害にあった犠牲者の目線で描く被ばく史である。犠牲者は被ばくがもとで病を発症したと信じている。だがその因果関係が医学的に証明されたことはない。状況証拠あるのみである。そこで被ばくの人体影響メカニズムを図解することは基礎情報として欠かせないと考えている。その上で被ばく環境はどのように発生するのか。社会的、時に政治的与件を掘り起こしながら考えてみたい。

Notre ami l'atome —Un siècle de radioactivité
©ARTE France/KAMI Production

Story


今米国では400余名の米海軍空母ロナルド・レーガンの元兵士が、東電と原子炉メーカーを相手どる訴訟を起こそうとしている。今年3月には連邦地裁に訴えを却下され、訴訟準備といってもすでにこの5年間も紆余曲折を経ている。彼らが3月13日に女川原発近くに停泊し、人道ミッション“ Operation TOMODACHI ”を遂行していたことは証言が取れている。すなはち、彼らは福島原発由来の放射性プルームの真っ只中で艦上ヘリの荷を積み降ろし、発着を誘導していた。放射能対策を取らぬまま無自覚に初期被ばくのインパクトを受けた。ガンや放射線被ばく症状を訴える402名のロナルド・レーガン元乗組員が、治療のための基金設立と情報操作の責任を追求している。

この悲劇的な逸話は、皮肉にも1954年太平洋・ビキニ環礁における米軍の<事故>により、日本の漁船が核実験の被害者となった出来事を想起させる。核実験<キャスル・ブラボー>作戦では、危険水域を指定したにもかかわらず爆破威力を低く見積もったことで、爆発に伴う放射性物質が安全水域にまで拡散した。23名が乗るマグロ漁船第五福竜丸が<死の灰>に覆われた。漁船の通信員は6ヶ月後急性被爆症状で死亡した。さらにその後も(1954年)同海域で、のべ900隻余りの日本漁船が操業中に被ばくしていた。

折しも日米両政府が、原子力発電の技術輸出交渉をしている最中のことであった。広島と長崎、2つの原爆の惨禍を知る国民に原子力の利用を受け入れさせるための<平和のための原子力>キャンペーンが始まっていた。福竜丸被ばく事件は最悪のタイミングだったのだ。外交裏取引で、被害者には米国政府から数億円の慰謝料と漁協経由での損害補償がなされ、23名の沈黙は当面保たれが、その他900艘1万人近くの漁師の健康は闇の中に葬られた。そして今日、被ばくの後遺症に耐えてきた漁船の乗組員45名が、日本政府の怠慢と情報隠匿の責任を追求する訴訟に踏み切っている(一審敗訴)。65年後の今、彼らの健康と被ばくとの関連調査が行われている。

核エネルギーの操作を始めた20世紀初頭の科学者は、この新たなエネルギーの開発と利用に熱中しながら、放射線の人体影響に関しては注意深く隠し、否認し、危険性を低く見積もり、証拠は隠滅した。ところが広島、長崎においては、爆発のひと月後には組織的に、大規模な人体影響観察が行われ、その医学的知見は米国陸軍の機密ファイルに閉じられ、未だに全容は明らかにされていない。

米国の核実験が繰り返される中、兵士たちは生体実験の対象にさえなった。名付けて<アトミック・ソルジャー>。その数25万人。また、核実験場のネバダ砂漠やマーシャル諸島近辺の住民も被ばくを避けられなかった。彼ら<風下住民>は放射性物質が漂う<風下>で暮らしていた。彼らの苦痛や疾病が当局によって認知されるのに40年も要した。1988年、退役軍人や住民の訴えを無視できなくなったアメリカ政府は、被ばく環境と病の確率を認める。18種のガンと補償の関係チャートを作成し、因果関係に触れないまでも相関性は受け入れた。因果関係と補償を求めるAtomic Veteranの運動はいまなお続いている。

2018年9月6日、福島県民健康調査検討委員会が開かれた。6月末までに18歳以下の県民の甲状腺検査で悪性と見なされた人は202人、手術を受けて甲状腺ガンと確定した人は164人と発表された。東京電力も政府も「被ばくとの関係は考えにくい」と因果関係を認めない。発病した子どもを持つ家族はしばしば孤立し、子ども自身が差別されるという報告もなされている。

被ばくするとはどういうことなのか。私たちの想像力は希薄と言わざるをえない。重複するガン、脱毛症、白血球の減少、流産、先天性奇形、、放射線被ばくの危険性は避けられない。原子の属性であり、その危険を回避するには放射線源から遠ざかることだけだ。この1世紀にわたる被ばく者の数を、否認と虚偽の数々を想像してみよう。私たちは科学的知見の意図的分散化と大量な情報の断片化の前で、判定する意思を削がれているのではないだろうか。このドキュメントの幅広い調査は、被ばくの事件、事実とその社会的政治的背景を描き、被ばくを隠蔽するメカニズムの由来を探る。被ばくの科学を絵解きし、労働被ばく、広島・長崎の被ばく者、ロナルド・レーガンの兵士、ビキニの漁船員たちの自覚的な言葉を紡いでゆく。その言葉の群れは、軍、国家の権力に向けた、原子力産業の傲慢に向ける犠牲者の意識の覚醒として記録される。

Director's profile


渡辺謙一(わたなべけんいち)

渡辺謙一(わたなべけんいち)

1975年契約助監督として岩波映画製作所入社、1981年毎日放送・文明シリーズ“ザ・ビッグデイ”で監督デビュー、映画の発明・リュミエール兄弟、女性史の誕生・高群逸枝など、1984年文化庁在外研修員としてパリに1年留学、1997年パリに移住、フランスや欧州のテレビ向けドキュメンタリーを制作。『桜前線』で2006年グルノーブル国際環境映画祭芸術作品賞受賞。近年は『天皇と軍隊』(2009)、『ヒロシマの黒い太陽』(2011)、『フクシマ後の世界』(2012)、『核の大地ープルトニウム物語』(2015)、『国家主義の誘惑』(2018)など、欧州において遠い存在であるヒロシマやフクシマの共通理解を深める作品制作に取り組んでいる。

タイトルについて


「我が友・原子力~放射能の世紀」 Notre ami l'atome —Un siècle de radioactivité

このタイトルはWalt Disney製作のOur Friend The Atom我が友-原子力に由来しています。

日本では1958年元旦に日本テレビが放送し、原子力と核兵器・核実験のイメージを分離するプロパガンダでした。

医学・産業・科学・未来イメージを原子力に植え付け、核兵器・核実験とは別のものであると核二元論を洗脳しました。

憲法9条を持つ日本が原子力を導入するためには核二元論が理屈の上で必須でした。日本の原子力導入への歩みは1954年に表面化しますが、その年は水爆実験を含む核開発実験がビキニ環礁やネバダで常態化する時期でもあります。3月1日にはマグロ漁船第五福竜丸が死の灰をかぶり急性被ばくの犠牲者を出します。

その翌日、国会では原子力研究開発予算が中曽根グループの手で提出されます。日本国内の反核運動が盛り上がりを見せるその渦中で、原子力導入の道が開かれる。

それを可能にしたプロパガンダがOur Friend The Atomです。我が友・原子力というタイトルにこだわったのは、“放射能”を切り口に“原子力と核兵器”、両者一体のイメージを再構成したいと思うからです。

監督:渡辺謙一

上映情報


2021年春劇場公開予定

配給・お問い合わせ


株式会社インプレオ IMPLEO Inc.